
森の恵みとともに紡ぐ新たなキャリア
神奈川を拠点にフリーランスの編集・ライターとして活動していた黒澤祐美さんが八ヶ岳山麓へ移住したのは2021年のこと。リモートワークの普及を機にジョブチェンジを考えていた矢先、蓼科のキャンプ場の運営に携わる機会を得た。「移住のつもりはなかったのですが、娘とともに1年間、寮に住みながら八ヶ岳の暮らしを体験し、ここで子育てをしたいと考えるようになりました」。
さらなる転機は、八ヶ岳の森林資源を利活用した商品開発を手掛ける株式会社 ヤソとの出合いだ。イベントで「『yaso』を法人化するにあたって、ディレクションを担う人を探している」という話を耳にし、「ものづくりそのものができるわけではないけれど、PRやブランディング、プロジェクトの進行を支えることならできる」と転職を決めた。休日に娘の葉奈さんと過ごす時間を確保できる働き方を求めていたことも大きな理由だった。

スキー教室への送迎や勉強の時間など、葉奈さんと過ごす毎日を大切にしている黒澤さん。「親子ですが、ほどよい距離感を保ちながら暮らしを楽しんでいます」。
現在は、ライター時代に培った「編集的な視点」を生かしながら、自社ブランドの企画やプロジェクト管理、施設運営のディレクションといった森林資源の総合プロデュースに携わる。「情報を伝える」仕事から「コンテンツを育てる」仕事へ。八ヶ岳の森の中で、新たなキャリアを歩んでいる。

精油をはじめとして、 赤松や白樺の葉を使ったお茶、ボディーケアコスメなども展開。調香師を招いた精油ブレンド体験、アロマキャンドル作り、スワッグ作りなど のワークショップも開催する。

森林や庭園管理の一環として行われる間伐や剪定で生じた樹木を、自社で蒸留し、 精油を抽出する。
山と地続きの暮らし
親子で四季を重ねる
編集・ライター時代にアウトドアやフィットネスの記事に携わり、山と関わる機会が多かったという黒澤さん。トレイルランを楽しみ、葉奈さんが誕生してからは背負って登山をすることもあった。都会に住む人にとって、アウトドアは特別なイベントだ。しかし、八ヶ岳では暮らしと山がシームレスにつながっている。「山は、飽きることがありません。最近では、眺めているだけでも満足するようになりました」。もちろん、休日に登山やキャンプを楽しむこともある。

友人のキャンピングカーを借りて八ヶ岳麓のキャン プ場へ。かつてはレジャーだったキャンプも、遊び尽 くすと日常の一部に。黒澤さんは「最近、テントで寝ようと誘っても、娘の反応が薄いんです」と笑う。
葉奈さんは、小学校1年生で横岳や硫黄岳に登頂し、今年はアルプスの山々へも挑戦する予定だ。頂上を目指すことよりも、そこにある景色や季節の変化を楽しみ、新しい発見を共有している。黒澤さんのお気に入りのスポットは通勤時に通る、八ヶ岳エコーライン。出合うたびに表情を変える空の色や雲の流れ、山々の姿が新鮮な風景を見せてくれるのだそう。

夏の青空の下、山歩きを楽しむ。幼少期から山に親し
んできた葉奈さんの登山デビューは、なんと生後9カ月。「背負って木曽駒へ行きました」(黒澤さん)。
八ヶ岳の大地に根を下ろしながら、親子の日々はこの先も穏やかに、そして力強く続いていく。

横岳へ。 高い山を目指すのではなく、自然の中に身を置く「過程」 を重視している。

大好物のキュウリを収穫する葉奈さん。「冬はしなしなだから」と、旬の夏のものがお気に入り。

授業参観で聞いた「山登りが好き」という葉奈さんの言葉に黒澤さんはほっとしたそうだ。
人と自然が寄り添う
小さな町での暮らし
黒澤さん母娘が暮らすのは、富士見町の一軒家だ。2024年には2匹の子猫を迎え、家の中はさらににぎやかになった。移住者にとって、最も大きな課題のひとつが住まい探しだ。「賃貸物件が少なく、問い合わせを重ねました。富士見町に偶然この家が見つかったのは、本当にラッキーでした」。

コーヒーを淹れながらその日の出来事などを談笑。 葉奈さんに、お母さんの好きなところを尋ねると「ご飯がおいしくて、優しいところ」とにっこり。
富士見町は街全体がコンパクトで、住民同士の距離が近い。「子どもが一人で歩いていても、誰かが見守ってくれている安心感があります。『さっき○○で見かけたよ』と声をかけてもらえることもあります」。日々の暮らしは、人々の静かで温かなまなざしに支えられている。

縁側から明るい陽光が差し込むリビング。テレビは置かず、天井にプロジェクターとスクリーンを設けた。

部屋には黒澤さんの生けた花も。和室によくなじんだ北欧系のインテリアの中で愛らしいアクセントになっている。
葉奈さんは、小学校1年生の時に一人で喫茶店へ行き、モーニングデビューを果たしたそう。ミュージカル劇団にも入り、全身での表現に夢中だ。冬には地元のスキークラブに週4回通い、アクティブな毎日を送っている。

すばしっこくてやんちゃな兄妹猫の「ちま」と「ごま」。葉奈さんも時間を見つけてはかわいがっている。
移住者が多い八ヶ岳は、移住者同士のコミュニティーがある。黒澤さんもその輪の中に入り、仲間と田んぼをシェアしている。最初の1〜2年は、田植えや収穫に参加するだけだったが「体験で終わらせたくない」と、3年目からは暮らしのルーティンに組み込むように。田んぼの手入れやみそづくりといった作業や、もちつきなどのイベントを通じて緩やかなつながりが生まれている。「子どもも多く、仲間みんなで育てているような環境です。こういう関係性が続く暮らしにしていきたいですね」。

黒澤さんが仲間とシェアしている田んぼでの作業の様子。
日常の延長線上に自然があり、人々とのつながりがある。八ヶ岳での暮らしがもたらしてくれるのは、かけがえのない豊かさだ。
【Name】黒澤祐美さん、葉奈さん
黒澤さんはフリーランスの編集・ライターを経て、2021年に八ヶ岳へ移住。株式会社ヤソにて、森林資源の利活用に関するプロジェクト推進を担当している。親子でのアウトドア活動を楽しみながら、八ヶ岳の自然とともに暮らす。
DATA
yaso
【エリア】長野・茅野市
【電話番号】080・8498・1659
【住所】長野県茅野市 宮川11051-1
【他】yasoの公式サイトはこちらをタップ
※ラボは月に1回程度、 オープンデイ有り
この記事を取材した人
ライター 綾部綾
長崎県出身。故郷の港町とは全く違う八ヶ岳の景色と空気感に魅せられ、取材の機会を心待ちにしている。
カメラマン 松本幸治
鳥取県米子市出身。
2001年よりフリーランスカメラマンとして活動。
現在、愛知県を拠点に活動中。