「食べるメディテーション(瞑想)」と評される料理をつくる本田隆シェフは、北杜市で料理店『ぶらん八ヶ岳』を営む。 “食は体験の時代”を掲げる本田シェフの、日常の食事に密着した。
朝ごはん
ニホンミツバチの蜂蜜とシリアル、八ヶ岳ヨーグルト、コーヒー
コーヒーと窓からの景色に活力をもらう朝
本田さんはかつて、横浜・関内で料理店「Cuisine etVin ぶらん」のオーナーシェフとして腕を振るってきた。より良い食材を求めて山梨県に縁ができ、休日は自ら畑仕事に精を出すほどのめり込む。そのうち出張料理人として軽井沢に呼ばれるようになり、一時期は軽井沢を拠点としていたことも。さらに林業にも従事する中で、自然の素晴らしさにますます開眼していった。その後、山梨に戻り『ぶらん八ヶ岳』を2021年に開業した時には、横浜を離れて8年がたっていた。
古い2階家の1階が厨房とレストランで、本田さんはその2階に住む。2階に上がって引き戸を開くと、眼前には大きな窓を通して田園風景が広がる。晴れた日は甲斐駒ヶ岳や富士山も見えるそうだ。視線を室内に戻すと、リビングにはさまざまなテイストが交ざったインテリア・雑貨が置かれ、観葉植物に加えて窓の外に垂れ下がるツタの緑も目に優しい。
朝は8時頃に起き、部屋に掃除機をかけてからコーヒーを淹れる。豆は近隣の自家焙煎珈琲店『彩香房』の有機栽培品だ。朝食にはほとんど時間をかけない。「こんなに簡単でいいですか?」と恐縮しながら、流れるような手つきで「八ヶ岳ヨーグルト」とグラノーラ、旬の果物、ニホンミツバチの蜂蜜をワンボウルに収めていく。「素材はなるべく添加物がないものを選んでいます」と言う通り、プロらしい選択眼が光るが、健康管理として大豆プロテインやサプリメントも取る。「食事が不規則なので、放っておくと筋肉が落ちてしまうんです」。厨房だけでなく近隣の山々もフィールドにしている本田さんの、楽しくも体力勝負の日常が垣間見える。
昼ごはん
自家製生ハムとチーズのサンドイッチ
バゲットにはディジョンマスタードとバターを混ぜて塗る。たっぷり塗り込むことでサンドイッチとして完成するそう。
何げない食事に宿る料理人の誇り
「横浜の時は生意気でいなきゃと思って外車で店に乗りつけ、仕入れに行っていました」。そう過去を振り返る本田さん。気負いは過剰なブランディングにつながり、徐々に仕事を楽しめなくなっていった。料理はフレンチをベースに、和食を取り入れた創作である点は変わらないが、「主役はお客様と食材。料理人のエゴという余計なエネルギーを入れないようにしています」と、がらりと心境が変化している。横浜の店を知るお客様からは「表情が全然違う」と驚かれるそうだ。
評価を追い求めるのもやめた。「万人に満足してもらうのはおこがましいことだと気づきました」。〝恐れ〞を手放し自由な境地で料理と向き合うことを覚えたから、レシピは残さなかった。料理に対し最終形だと思えるまでつくり込んでも、いったん忘れる。「手放すのは毎回ドキドキしますが、翌年も必ず〝これ〞というレシピが降りてきます」。
できたてのサンドイッチを食べる本田さん。「おいしいです」と微笑む。
昼食は、ランチ営業がある日は14時以降、ディナー営業の日は仕込みの合間にとる。バゲットに生ハムとチーズを挟んだシンプルなサンドイッチも、本田さんの手にかかればごちそうに。市内の生ハム工房のワークショップで仕込んだ自家製生ハムに、フランス・ブルゴーニュでの修業時代から好きな『シャウルス』という白カビチーズ。今日はさらに、千葉から取り寄せたミックスリーフも挟んだ。
ワンボウルの朝食、サンドイッチの昼食であっても、「ちゃんとした生活をしたい。それにプロとして、お客様よりいいものを食べて知っておかないといけないと思っています」という心がけが食事に反映されている。
晩ごはん
山で摘んだ山椒を使った麻婆豆腐、羽釡ご飯
北杜市に居を構え、仕事で作る料理も自分が食べるものも変わったという。特に好きなのは「夏のキノコや、ワラビ、タラの芽、コシアブラなどの春の山菜です。僕の山の師匠は近隣の山の水脈をよく知っていて、水脈上で採れる山菜は明らかに味がいいんです。それに水道は湧き水が引かれていておいしい。ここで生活していると、たくさん採れていたものがある日パタッとなくなるのがよく分かります。だからコースは手に入る食材から考えることになり、自然とともに作っている感覚が強いですね」。
深いあめ色の土鍋で麻婆豆腐がぐつぐつ煮える夕食時。甲斐大泉の山で採れた実山椒を木のすり鉢でつぶすと、鮮烈な香りが弾ける。この実山椒も山の師匠が取ってきてくれたものだ。最近はさまざまな事情が重なりなかなか山に入れないそうだが、「アサギマダラという台湾から渡って来るチョウが今、八ヶ岳に多くいるはずなんです」とうれしそうに教えてくれた。山の景色や手触りはいつも、本田さんの心の中にあるようだ。
麻婆豆腐の仕上げに垂らすのは、白い陶器の瓶に入った「角長醤油『巴里』」。日本における醤油発祥の地のひとつ、和歌山県湯浅町で熟成に 年半かけた特別な醤油だ。「家で食べる時は手間をかけずに食べられるものが多いので、その分個々の素材がものを言います。特に良質な調味料は重要。それはお客様にお出しする料理も同じ。ひとりで厨房に立つ大変さを、良質な調味料が助けてくれています」。
「プライベートと仕事が溶け合った生活ですね」と本田さんに声をかけると、「公私混同です。いや、〝楽業一体〞はどうでしょう?」と軽やかに返してくれた。
出張料理と店を行き来して唯一無二の料理人に
現在の店のスタイルは、「心臓に毛が生えた」ような出張料理人の経験が大きく影響している。クライアントは軽井沢に別荘を持つ富裕層で、出張料理人を呼ぶ目的は「ゲストとの良き思い出づくり」だという。それを実現するキャストのひとりとして料理、テーブルセッティングや会食のアドバイスなど、多岐にわたるジャンルの内容の濃い会話で、〝食の総合芸術〞とも言うべき仕事を実現するのだ。
軽井沢では出張料理は文化として根付いている。「 50歳を目前にして、この文化やマインドを後進に伝えたい」と考えるようになったという。「本田さんは文化をつくっているのだから」というクライアントの言葉に背中を押され、自然から教わった知恵と視点によって立つ、独自の料理人文化を伝えるべく、次のステージへと歩みを進めている。
DATA
- ぶらん八ヶ岳
- 【エリア】山梨・北杜市
- 【住所】山梨県北杜市大泉町谷戸210-2
- 【営業時間】1日1組(6名様まで)限定の完全予約制
- ランチ(11:30~15:00)は13,000円か16,000円のコース
- ディナー(17:30~22:00)は16,000円のコース
- 【定休日】月、火
- 【他】ぶらん八ヶ岳のInstagramはこちら(ここをタップ)
- ※金額はサービス料、消費税別 ※ベジコースあり ※予約はInstagram DMにて受付
この記事を取材した人
ライター 栗本京子
大分県出身。2016年に東京から長野県に移住してフリーランスに。台所・料理・食べることが三度の飯より好き。
カメラマン 阿部紗夕里
1987年神奈川県生まれ。美味しい水と野菜と自然がある場所に住みたいとの思いで、現在長野を拠点に活動。自然と人を繋げる写真を撮れないか模索中。