八ヶ岳との出合いが、人生のターニングポイントになったと話す人は多い。 ジビエやキノコをはじめとした山の恵みを供する『仙人小屋』を継ぎ、師匠の思いを胸に日々自己研鑽に励む高橋友也さんもそのひとりだ。
人生の転機となった〝仙人〞との出会い
見たことがないような山の味覚の数々が楽しめる店として知られ、2年前に惜しまれつつも閉店した山奥の食堂『仙人小屋』。初代店主である〝仙人〞大林登さんからバトンを託され、2024年4月に再オープンを果たしたのは「仙人小屋最後の弟子」である高橋友也さんだ。独立して小淵沢で『八ヶ岳小僧』を営んでいた高橋さんは、師匠からの提案に即決、店を畳んで跡を継いだ。
千葉県出身の高橋さんと大林さんの出会いは、10年前にさかのぼる。すし職人として東京の名店で修行を積んだ高橋さんは、その技術を買われて中国・上海で腕を奮う。帰国後、八ヶ岳へ旅した際に『仙人小屋』ののれんをくぐったのが転機となった。さまざまな食材に通じていた高橋さんだが、初めて口にした山の幸の数々に衝撃を受けた。「特にキノコの種類に驚きました。口に入れたときに広がる香りや味の濃さは、購入するものとは比べ物になりません。聞けば、全部山から採ってきたばかりだと言うじゃないですか。食の概念をひっくり返される体験でした」と高橋さんは振り返る。会計の際、高橋さんの口から「弟子にしてください!」という言葉が飛び出した。
大林さんから示された弟子入りの条件は、1カ月以内に移住すること。「覚悟を試されていたんでしょうね」と高橋さん。実家に戻った高橋さんは2週間で準備を終え、再び八ヶ岳の土を踏んだ。「僕のコンセプトは、自分らしく生きること。ここは地上の楽園で、仙人小屋は僕にぴったりだ。直感でそう感じたんです」。
食材との出会いを求めて山へ分け入る日々
高橋さんは、毎日早朝から師匠と一緒に山に入り、山菜、川魚、キノコ、ジビエといった山の食材の知識、自然との真摯な向き合い方を五感を駆使して吸収した。「キノコなら、八ヶ岳には約5000種類が生育していて、食べられるのは約300種類。僕はまだ150種類くらいしか扱えません。土壌や環境の影響で生育場所や味が変わり、突然変異も多い。気分はトレジャーハンターです」。
小僧から二代目仙人へ 店と共に成長し続ける
『仙人小屋』の半世紀近い歴史の中で、巣立った弟子は30人ほど。高橋さんにとって、この店は母校のようなものだという。存続を選択した後も「師匠の意志を継ぎ、成長すること」が日々の原動力だ。「山奥という特殊な場所で、どうやって商売を成り立たせるか。食材集めや料理はもちろん、建物の修理まで何でも自分でやらないといけませんが、全てここでしかできない経験です。この店と僕の人生はリンクしているんです」
再開した『仙人小屋』では、昼間は従来のスタイルをオマージュした定食を、夜はすしや和食のエッセンスを取り入れた高橋さんならではの料理を供する。ジビエなら、定番の鹿・イノシシ・熊のほか、アナグマなどの珍しい肉に出合えることもある。冬期は、高橋さん自ら石川県で熊を狩ることも。「何日も前から予約して、遠方から楽しみに来てくださる方々に報いたい。でも実際に山に入らないと、何が採れるか分からない。日々プレッシャーを抱えていますが、籠いっぱいのキノコや山菜を見て、目を輝かせているお客さんの姿を見ると、重圧も疲れも帳消しです」。〝感動の提供〞を。その目標が高橋さんを突き動かす。
人間は本来、土を踏んで生きてきた。コンクリートに囲まれて暮らすようになった現代の人々について、高橋さんはこう話す。「山は心の治癒力を高めてくれると思います。思い切って八ヶ岳で1年間暮らせば、本来の感受性が取り戻せるはず。1年は無理でも、人生に疲れた時は、山で過ごしてみてほしいです」。
「小僧」から「二代目仙人」へと昇進した高橋さん。山での修行は生涯をかけて続いていく。
【Name】高橋 友也さん
千葉県出身。すし職人を経て『仙人小屋』の大林 登さんと出会い、弟子入りして独立。2024年4月からは二代目として跡を継ぎ、新たなスタートを切った。
DATA
- 仙人小屋
- 【エリア】山梨・北杜市
- 【住所】山梨県北杜市大泉町西井出6924-2
- 【電話】080・2139・8249
- 【営業時間】11:00~14:30、18:00~21:00
- 【定休日】水、木、不定休
- ※水曜または木曜が祝日の場合は どちらか営業・電話確認要
この記事を取材した人
ライター 綾部綾
長崎県出身。故郷の港町とは全く違う八ヶ岳の景色と空気感に魅せられ、取材の機会を心待ちにしている。
カメラマン 田畑宏道
主に建築分野の撮影に携わり、本誌で八ヶ岳に関わるうち、その魅力に引き込まれる。